amenorsir’s blog

絵描き物書きベース弾き。

7月某日、七夕直前の金曜夜、私は残業をしていた(正式に言えば、転職した後輩の仕事を丸投げされた)。

営業室へは携帯持込禁止であったが、その時はなんとなく嫌な予感がし、私は作業を中断してロッカー室へ向かった。

母からのLINE。それは容態が悪化していた祖父の死を告げるものだった。

前日に今週末もたないかもとは言われており覚悟はしていたのだった。

急いで書類を片付け、隣席の上司に告げた(どうやって向かうのかとかどっちの祖父かとか、そのタイミングですることではない無意味な質問をされ、答えた)。

その頃選挙の時期で、会社を出ると小池百合子氏が乗ったトラックが背後からやってきて、スピーカーで何か言い通り過ぎて行った。思えばあの時、初めて小池氏本人を生で見た。

祖父は苦しんで逝った。

亡くなる直前、祖母が、どこを支持するかと祖父に尋ねた。意識ははっきりしていた祖父は小池さんの方と言ったらしい。その小池さんだ。そして結果を知る前に祖父は逝ってしまった。

16年飼っていた犬の時も。今回も。私が仕事をしている間に皆逝ってしまう。

葬儀の日は、霧雨が降る最近の夏に珍しい涼しい日だった。伸び切った髭を切られて顔は綺麗に整えられ、よれよれのパジャマから一張羅の白シャツ、ジャケットに着替えさせられ、祖父は穏やかな顔で寝ていた。

「このシャツ、あなたのパパとママの結婚式で着る予定だったやつよ」

お棺を覗きこみながら祖母が言った。

スタッフの方から、祖父が産まれた日の新聞をいただく。コンビニでコピーが取得できるのだと教えてもらった。祖父が産まれた日、それは日本史で覚えた蔣介石がバリバリ現役で他国へ侵攻活動している日であった。

 

11月。昼過ぎ、祖母の家に食材を届けに行く。祖父の部屋は当然ながらがらんとしていた。TV画面は暗いまま。壁にかかった馬のカレンダーは7月で止まっていた。冬の日暮は早い。あっという間に部屋が暗くなっていった。

一人きりの部屋で、祖母はこのサイクルを毎日繰り返している。

その日、近所で友人と夕飯を食べる約束をしていた。もう帰るね、と言うと祖母がちょっと待ってよ、今から相撲始まるんだから見よう、直前までいなさいよと引き留められ、TVを点けた。

どっちはずるいとか、弱いとか祖母が話す。

駅に向かう帰りのバスがマンションを通り過ぎる時、祖父の部屋を見上げた。カーテン越しに、以前は蛍光灯のあかりが透けていた。祖父は毎晩競馬を観ていたからだ。もしかするとと期待した。窓際に、ただの真っ暗なカーテンが見えただけだった。

 

11月末。友人とお茶。甘いものがたくさん食べられなくなった。調べると、成長に必要なエネルギーが減ったからだそう。燃費の良い人間になった?少ない努力で結果を出せる?一瞬喜ぶ。いいえ、違った。成長しなくなったから、エネルギーがいらなくなったのか。悲しい。

歯医者の帰り、30分家まで歩く。

遠回りしてふらっと神社に寄る。

おみくじを久々に引くと「駿馬」の単語。年が経つのは速い、後悔しないよう、しかし粘り強く努力しなさいとある。馬。このモチーフに何かメッセージを感じた。

かつて飼い犬を連れてきた公園を通り過ぎ、帰路につく。

2年前の今頃、ここをよく散歩していた。この時期の散歩はとても良い。ただ、あの時と違うのは祖父も犬も同じ世界にはいないということ。

真っ暗な冬空を飛行機がよく飛ぶ。あの中で、働く人もいれば、窮屈な席にいらつく人もいれば、映画を観ながらうたた寝する人もいれば、PCを広げる人もいるのだろう。見上げていると、いつの間にか豆粒のようになり黒に吸い込まれて行った。

飛行機も時間も止まってはくれない。

うかうか出来ない。とはいえ向き合うのは今であり、目の前のことだとは。

なんと難しい課題を現代人は科されてしまったのだろうか。

元旦

初日の出を見たことはない。正確には、11歳くらいの年に一度だけ早起きして見たことがある。

いつもの時間に目覚ましをかけたけれど、大晦日に神社に出かけて眠ったのが2時だったから二度寝してしまった。

のんびり起きておせちを食べ、友人からもらった年賀状を読む。

近くの漁港に行き、フランスパンを2本買い、犬とボール遊びをする。

もう夕方、ココアを飲んでいると家がブランコのように揺れた。縦揺れでも横揺れでもなく、揺蕩うようにみしみし揺れた。大人になって三半規管が弱くなったのだろうか、船酔いした。

あまり幸先良くない船出だ。

テレビはシリアスになっているし、近所の子どもたちは集会に出かけて静かになったし、犬も耳を立てて伏せっている。

日が落ちると、太陽が恋しくなってきた。

どうか、今年こそは穏やかでありますよう。

半休

帰りの電車はがらがらの午後13時30分。

このまま帰るのは物足りないから映画とか行こうかと調べるが、観に行くほどの気になる作品は上映されていなかった、あとお腹が空いている、食べ物も交互に調べなければ、そうこうするうちに普段の乗り換え駅を通り過ぎてしまった。

クリスマスソングが次から次へ流れる駅ビルのトイレに腰掛け、クリスマスソングを聴き流しながら一点を見つめてみる。

気合いを入れて立ち上がり、ひさしぶりにずっと行きたかったお気に入りのハンバーグ屋に行く。

荷物と分厚いコートを荷物バスケットに入れていると、店員のお兄さんが横に棒立ちになってそれを見守っている。

急かされているみたいでいやだなと少し苛立ちながら座ると、まだ背景で何やら動いている。

さりげなく振り返ると、店の出口付近にあったヒーターの顔をせっせとこちらへむけてくれていた。久しぶりに家族以外の他人の優しさに触れた瞬間であった。

平日のランチタイムだからサラダが出て来、得した気分になった。

そのあと、寒さと曇天のせいか頭痛がしてスタバに駆け込む。

腕時計を見ると、まだ会社を出て2時間しか経ってないのに遠くへ来てしまったみたい。

風邪で学校を休んだ子どもみたいだ。

隣の二人がけの席が空くや女子高生たちが来た。母校の子たちだ、あのネクタイをしている。二学期の期末テストを控えている時期、数学の判別式がどうなどと話していた。

私も高校のときスタバで勉強したことがあるけれど、あの特別感はなんなんだろうなと思い出した。テストが終わればクリスマス会だから、がんばれ、と心の中で伝えた。

冬の日没は早い。夕方16時。もう夜の気配。

 

 

海を渡る力

海を渡ってゆく力が欲しい。

中学2年の校外学習で江ノ島に出かけた日、夕暮れに稚児ヶ淵の崖から見た海にわたしは一目惚れした。

あれからふとしたタイミングで稚児ヶ淵に通っている。

この連休、わたしは最後にここへ訪れようとしていた。夕陽が沈んだら、海を渡ってゆくつもりだったのだ。

それで別の世界に行ってみたかった。

けれどわたしにはそんな勇気はなく、前の職場でパートとして働いていたスキンヘッドの木村さんにもらったカレーパンのことや、仕事のできる怖い上司に徐ろにファイリングをお願いされ、わたしは図工ができないからあなたはすごいねと言われたあのくだりは自信喪失のわたしに対するあの人の優しさだったのかもしれないと突然気づいたりしたことで、ちょっと涙が出ただけであり、少し結局近場のカフェでのらりくらりと過ごした。

もう少しだけここで夕陽を見送ってから、いつか海を渡ってみたい。

休み明けの満員電車で冬の朝の白い光に照らされながらわたしは思った。

7月のあたま

吉祥寺へ出かける日はいつも雨。

昨日もそうだった。

軽く絞れば水が滴りそうな湿った雲に覆われた街、ビニール傘を手に提げ、三ヶ月ぶりの美容院に向かった。

ロングの髪は好きなほうだけれど、いかんせん髪質が太くて硬い私は綺麗な黒髪を保つことができない。もし綺麗に伸ばせていたら、その髪にパーマをあてたり、染めたりして楽しむことができただろう。

 

「切らないの?長くない?」

そう、金曜の夜の飲み会で先輩達に言われた。

「そう、周りから重い重いって言われるんです。でも短いのも似合わないし。」

「うん、重いよ。」

「まずはセミロングからやればいいじゃない。」

もうひとりも頷く。

やっぱりそうなんだ。数人が同意するならそうなんだ。周り、と言ったけれどそれは母のこと。てっきり母の趣味を押し付けられているのかと思い頑なに伸ばしていたけれど。

ストレートの女性が女性に髪を切る事を勧めること、に対して前から不信感があった。何か裏があるのかと。

しかし流石に三人に言われたなら。褒められたわけでもないのに、何故かスカッとした。

「なに、長いのが好きなの?」

「いや、そうでも無いですけど......結ぶだけだと楽だし」

変な笑いかたをしながら弁明するように言った。

「たしかにね。洗うのは大変じゃない?」

じーっ。前の二人が私を不思議そうに見つめた。

 

今にも雨粒が落ちてきそう。

駅から10分強歩き、美容院に到着した。

美容院で渡されたタブレットを眺める時間が好き。

作る気もないくせに読む、料理人の夏のレシピ。

海外の旅行誌。英語の勉強になる。

髪を切り終えると、美容師さんが鏡越しに言った。

「いかがですか?」

思っていた通りだが、やや切りすぎたかもしれない。もはやボブ。でもまたすぐに伸びるだろう。

「軽くなりました。ありがとうございます。」

空白。

「もう、二年前にあてたパーマやカラーの部分は残っていないですか?」

「そうですねー、もう流石に全部切られてますね。」

空白。

「完全に地毛なんですね。またいつか染めようかな」

「ええ。今日切っていて思いましたけど、白髪がちらほら出始めてますね。遺伝と体質なので早い人はもう出てきますので。でもまだ一年、半年レベルでは進まないでしょうし、暫く地毛を楽しむのもありですね。」

白髪はこの半年くらいで急激に増えていることは気づいていたが、聞いてもいないのに唐突に出たワードに、死刑宣告でもされたかのようにドギマギとしてしまった。

この人は嘘はつかないストレートな人なのだ。

そのあと私はカフェに寄って持ってきた本を読んだ。

ふと、今上映されており気になっている映画を思い出し上映館を調べてみると、近くの古い映画館で夕方からやっているようだ。

よし、と決めてフラフラっと軽くなった頭の勢いでチケットを購入した。

表示された料金を見て気がつく。

今日は月初めの1日で、サービスデーなんだね。

しかもちゃんと土曜日の休日。気になっていた映画だし、時間も完璧だ。

たまにはこんなラッキーがあってもいい。

 

ある日ぺこぺこで入ったたこ焼きチェーンで、女ひとりの一見客だからと侮られ、いつまでも注文したものが来なかったり。

ある日カフェで飲み終えた紅茶のカップの底がじつは茶渋でまっくろだったことに気づいたり。

そういう曇天の雲の隙間からスッと光がさしたような瞬間がもう少しだけあれば、哀しいひとももう少しはあかるく生きのびられるのかもしれぬ。

帰り道、さっき観た映画のサントラを聴きながらふっと思った。

 

父の日に

夕方16時の平日。仕事は今日も終わらない。

Instagramを見ていると、同じ年頃の友人らは海外旅行をしたり好きなタイミングで有給を取って遊んだりしている。ように見える。だけかも。

大体はパートナーとお洒落なレストランに出掛けたとか、テレワーク中に食べたおやつとかそんなの。

わたしの職場は常に繁忙期だ。

仕事は大量なのに残業には厳しいから、短い時間で普通の倍の仕事をこなしていかねばならない。

日の落ちかけた休憩室、わたしはひとり、持参した白米と冷凍しゅうまいとポテトサラダをいそいそと胃に運んでいる。

16時に捩じ込むようにランチ、しかも15分とか20分。これ以外はトイレにもまともに立たずにひたすらPCの前で唸っている毎日である。

電気はつけない主義。偶然に人が入ってくると、いつも笑われ、病んでいるのかと心配される。だって蛍光灯の刺すような明るさに疲れるのだ。でもTVだけ点ける、一人なのだし好きなチャンネルを独占できる。まあ、無難な大衆向けニュース番組だけれど。

突如、ふと頭に一つの情景が浮かんだ。

それは秋の夕暮れの地元のスーパーマーケット。

父は週末になると私達幼い娘らを夕飯の買いだしに連行する。

そして買い物のあと、店の前の小さなテントばりの焼き鳥屋に寄らせてくれる。 

トラックのお兄ちゃんからひとり何本かずつ好きなのを買ってくれ、設えの安っぽいテーブルとベンチでそれを皆んなで食べたのだ。

育ち盛りの私達はいつも腹を空かせていたから、あの焼き鳥が一層、とてつもなく美味しかった。

何故にあの光景を今突然思い出したのかは謎だ。

そう言えば昨日は父の日だった。

ああ父の日だなぁと思いながら実家に帰れず、何も渡せずに終わってしまったことが頭の片隅に引っかかっていたからだろうか。

 

ある日、昼食を取っていると会社の偉い人が部屋に入ってくるなりわたしに話しかけた。

「〇〇さんはなぜお父さんと同じ業界へ?」

「ここに決まったとき何て言われたの?止められなかったの?」

「僕なら娘がいるんだけど反対するけどな。」

働き方改革もまだ無い時代、早朝5時から深夜2時まで働く父を見て育ったから、勿論同じ道を歩むことにかなり抵抗があった。

結論は希望の業界には尽く落ちたから、であるが、就活の時にあまりアドバイスをよこさず、傷つく事も言い、最終的に止めてもくれなかった父を恨むような気持ちになったこともある。

とはいえ。

入ってはいけない他の家庭の領域に図々しく踏み込んでくるこの会社の「偉い人」に、あのときは寒気を覚えたのだった。

さて、社会に食い込んで働くことは本当に骨が折れる。でも段々と面白がれるようにはなってきた。意味を見出すということが、「社会人」として一人前になるということなのかもしれぬ。

きっと父もクタクタの身体で、私達を近所のスーパーマーケットに連れてゆき、焼き鳥を食べさせてくれたり、好きなのが出るまでガチャガチャをさせてくれたりしたのだ。あの日の父を思い出すと、じわっと心が温まった。

ちょうどタイミング良くニュース番組のエンドロールが流れ始めたので、わたしはリモコンの電源を切ると席を立った。

S線

 


これは就活の頃、大学4年になる春のある日のできごと。

某企業の説明会の帰り、S線のホームでわたしは電車を待っていた。

会場の雰囲気の堅さに疲れてしまい、頭がボーっとしていた。

たしか平日ではなく、土曜の夕刻だった気がする。まだ空は明るかった。

ホームは空いてはおらず、黄色い線の内側に5,6人くらいの老若男女が二列に行儀よく並んでいた。

 


さて、電車が滑り込んできたので、列が動き出した。わたしも前の人について進む。

ドアが開く。降りる人。降りるのを待たずに乗り始める人。のろのろスマホ見ながら進む人。乱れる列。隙間をぬうようにして乗る。

 

次の瞬間、肩に衝撃がはしった。

ゴンッという音すらきこえた。

振り返ると、黒いサングラスに鼠色の毛糸の帽子を被った老婆が、ものすごい人相でこちらを睨んでいる。(きっと、サングラスの奥の目は睨んでいたに違いない)

「あんた!今ぶつかったよ!」

「?...すみません。」

その覚えはない。人に体当たりした感触はなかった。第一、人の渦の中でこのお婆さんがどこにいたのか。並んでたのか、はじめから乗ってたのか、それすら知らない。今この人を初めて知った。そもそも、1ミリも前後左右の人に触れない方が困難なのだが。

 


唖然として隣の車両に移動しようとすると、また背後から肩を殴られた。

グーの握り拳で。肩にトマト缶をぶつけられたような力。

「ちゃんと謝れよ!」

と。そのひとはわめく。

80,90歳の人間に殴られたことのある?人には分かるだろうが、年齢と人を殴る力というのは反比例ではないらしいです。

むしろこういった人の場合、歳を喰うほど何かへの怒りと殴打欲を強めていくのだろう。

思わず後ずさる。臆病なわたしのマケか。違う、負けていない。負けたのではなく、殴られたのだ。

 


相手を改めて見れば、鼠色の帽子のそばに寄り添うように、上下鼠色のスウェットを着た中年の男が立っている。たぶん息子なのだろう。

母を庇うでもなく、注意するでもなく、決まり悪そうにするでもなく、文字通り無の表情であった。

 


0.5秒くらいの間。

 

すると突然
「女であることを忘れないでね」

 

老婆の捨て台詞。

 

全身黒スーツに黒い就活バッグをさげたわたしに対して。

 


一瞬で身体中の血液の温度が下がった感じがした。

今回の状況との脈絡の無さに混乱したが、たぶん、意訳するとこう。

 


「おまえはずるい。自由でずるい。若くてずるい。わたしの時代、もっと女は窮屈だった。若さだけに頼らされ、歳だけ取り、何も残りはしない。今の若い女は、勉強も仕事もして、昔の女の生き方よりも自由に『見える』。同じ女のはずなのに?でも忘れるな、おまえも本来不自由であるべき女なのだ。男みたいに小賢しいすかしたスーツなんか着るな。女として、同じように苦しめ。」と。

 


自身の性である女性性への恨み辛み、家父長制への恨み辛み、自身の人生への後悔なんかを、見知らぬ他人のわたしに、目の前に居合わせただけの「現代の若い女性のサンプル」にどうしたわけかぶつけてきたわけだ。

わたしの姿を、その手の「概念」の集合体だと捉えたのだ。

同族嫌悪。矛先を間違えたフェミニズム。そんな言葉が浮かぶ。

なんだ、あなたはそれを言いたかったのか。

 

理解しました。


「すみません、通ります。」

周りの人たちが同情したように通路を開ける。 

「うんうん、どうぞー」

ささーっとその場を離れたが、

しばらくその後も、この捨て台詞と握り拳の感触が頭や肩に居座って消えなかった。